はじめまして!吉川メソッドトレーナーのバヤシこと、中林です。
今回、“中林の消せない過去”を執筆させていただきました。全部を隠さずに書いたので、割とストレートな言葉になっています。
自分の過去を大勢の方に向けて、自ら話すことなんて必要ないと思いますし、友達に話すことも、あまりありません。
ですが、今回こんなことを文章として書きたいと思ったのは、現在たくさんのジムがある中で、「吉川メソッド」という存在を知って頂きたいという思いが強かったので、書かせて頂きました。
もちろん、吉川先生に書けと言われたわけでは全くなく、僕の方から、この件を改めて振り返ってみたい。過去の自分を隠さず、正面から自分と向き合いたいと思って、吉川先生に書かせてくださいと頼んだのがきっかけです。
また、中林への良くある質問として、「独立とか考えているんですか?」「◯イザップの方が稼げるんじゃないの?」って聞かれることがあります。
なぜ中林が吉川メソッドのトレーナーとして働いているかも知ってもらえればと思い、包み隠さず過去のことを書いちゃいました。
ちなみに、以前の僕ではこんなこと書けませんでした。どちらかと言うと誰にも話したくなかったですし、隠してきました。
ですが、吉川メソッドのスタイルでもあり、吉川朋孝のスタイルとしては、「後ろめたい生き方はしたくないから、過去を受け入れて、笑いに変えて生きていく!」です。
以前の僕はこんなことはできていなくて、誰と会うときも何かしら隠したいことがありました。ビクビクまではしませんが、どこか構えてしまっていました。
生きていてもどこかしらでストレスを感じていて、満たされない感覚が常にあり、休みの日には昼間から糖質を過食していたこともあります。
過食だけではなく、昼間からお酒も飲んでいました。昼間から糖質ゼロのビール(500ml)を4本飲んで、糖質をたくさん食べて、1人で潰れていたこともあります。
そんな自分が全てを受け入れて、何でも話せるようになると、こんなに楽になるものかと、今は実感しています。
中林という1人の人間が、過去や弱さを認めて、前よりちょっと強くなった実話です。
良いことも悪いことも起こりましたが、今があるのは吉川メソッドのお陰です。という訳で、中林の執筆した「死ねばいいのに」と言われた男」ご覧くださいませ。
序章 ~裏切りのパイオニア~
~2014年 夏~
吉川メソッド表参道店オープン前の経営会議にて
役員Fさん:「これから吉川メソッドを拡大していくにあたり、役員として中林さんは何を気を付けるべきだと思いますか?」
中林:「ノウハウの流出を防ぎ、トレーナーが辞めたり、不正をすることで起こる機会損失を防がなくてはいけないです。」
役員Fさん:「なるほど。それは大事ですね。」
やってはいけないことをやっていた。
これから吉川メソッドを広げるための経営会議の中で、堂々と嘘をつき、言動と行動は真逆のことをしていた。
そう、僕は吉川メソッドで働きながら、もう一つのジムで働いていた。
もう一つのジムというのは、仮称「中林ジム」。
現在は別の名前で残っているプライベートジムである。
なぜ掛け持ちをしてジムで働くことになったのか?
お金に目がくらみ、目の前の利益に飛びついた結果だった。
僕は、吉川メソッドを裏切り、会社の悪口や文句を言って、辞めていく先輩をたくさん見てきた。
トレーナーは独立したい願望が強い人が多いけど、自分もそのうちの一人だった。
裏切った先輩方々を見てきたが、自分が一番たちの悪い裏切りをしたのではないかと思う。
でも、僕が他の先輩たちと違ったのは、吉川メソッドを「裏切りきれなかった」ことだ。
これを、馬鹿と呼ぶか。勇気と呼ぶか。
感じ方は人それぞれかと思いますが、僕と吉川メソッドの大切な出来事です。

バヤシこと中林宏明
入社当初の中林とは?「得意なこと=嘘をつく。好きなこと=お金」
吉川メソッドに入社してから、約1年が経ったとき。
30代男性のお客様を担当していたときだった。
その方は、後々の仮称「中林ジム」のオーナーとなる、Tさんだ。
Tさんのプログラム終了が近づいてきた日のこと。
Tさん:「こういうダンベルとか、機材とか。全部でいくらくらいするの?」
中林:「全部揃えてそんなに高くはないですよ。100万くらいだと思います。」
Tさん:「へ~。そんなもんなんだね。」
経営会議に参加しているくらいだ。機材の初期費用位は知っていた。
当時の僕はお金に目がくらんでいた。
だから、僕の“いやらしい”レーダーは、お金を持っている方に対する反応が良かった。
このレーダーはTさんにも反応していた。Tさんの職業は医療系だった。
最初は太っていたTさんだが、吉川メソッドの2ヶ月間のプログラムで、腹筋が見えてくるほど変化をされて、とても感謝された。
喜んで頂けているのはとても嬉しかった。
だけど、気がかりなことがあった。Tさんがスタートしてから、2週間ほど経ったときのこと。
Tさん:「食事サポートメールの返事が全くないんだけど、こういうものなの?」
中林:「いや、毎日返信されるはずですよ。来てないんですか?」
Tさん:「そうだね。質問しても返ってこないよ。」
毎日返信されるはずの食事サポートメールが一切返信がないなんて、「ありえない!」と思った。
単純に食事サポートを担当していた女性スタッフ(以下:Nさん)に確認すれば良いものの、当時の僕はしなかった。
ちなみに僕は、吉川先生から「寝かせバヤシ」と言われているほど、問題を寝かせることが得意だ。
どうしようもできなくなるまで問題を熟成させてから、報告をする。一種の特技だ。
なぜ、食事報告の返信がないことを、寝かせたのか?
当時の僕は、会社に対する不信感があった。正確には不信感を感じていることも、寝かせていた。
なぜなら、吉川メソッドを裏切って独立していく先輩を見て、「いつかは自分も独立する」ということを目論んでいた。どんなものなんだろうと興味があった。
Tさんへの食事報告メールの返信がないということを理由にして、僕は勝手に会社に対する不信感をさらに募らせた。
そして、吉川メソッドを裏切る準備を着々と進めることとなる。
Tさんが卒業される間際のこと。
Tさん:「今、新しいビジネスを始めたいと思っていてさ。うちのマンションの一室が余っていて、そこで飲食店でも始めようと思っていたんだけど。
これだけ素晴らしいメソッドに出会って、サポートしてくれた中林さんにも、このメソッドを開発した吉川さんにもすごく感謝をしている。
だから僕もこのメソッドを世の中に広げたいと思うし、自分ならもっと大きくできると思うんだよね。
中林くんが全部好きなようにして良いから、うちの余ってる部屋をジムにして、中林くんの力を貸して欲しいんだけど。どうかな?
僕ならもっとお客様が満足できるように、サービスを向上させるし、医者の友達もたくさんいるから、医療系と手を組めばもっと強みが増すと思うんだよね。」
僕は考えた。すごく魅力的な話に感じてしまった。
担当するお客様の成果が大きく出るようになってきているし、自分の力も付いてきているし、一人でもやっていけるんじゃないか?
でも、吉川メソッドは辞めたくない。吉川先生はとてもいい人だし。厳しい環境だけど、自分を高められることを感じる。
でも、辞めていく先輩もたくさん見てきて、吉川メソッドの悪口や文句をたくさん聞いた。
食事報告メールの返信をしない女性スタッフNさん。心のどこかで会社に不信感があった。
今思えば、不信感を作っていた。その不信感という思いは、直接聞くこともできたはずだが、得意の「寝かせる」の技を使っていた。
お金が欲しいから。独立するため。吉川メソッドを裏切る理由が欲しかったのかもしれない。
そして、吉川メソッドとTさんの話を天秤にかけた。
選んだのは、両方だった。
「吉川メソッドにバレないように、Tさんのジムでも働く。」だった。
吉川メソッドには、絶対にバレてはいけない。すべてが終わってしまう気がしていた。
吉川メソッドに入社するときには、誓約書も書いている。ノウハウを流出してはいけないことや、他のジムで働いてはいけないことなど。
心配なことがたくさんあったので、Tさんには相談した。寝かせずに。
中林:「吉川メソッドに入社する際に、ノウハウの流出とか、他のジムで働いてはいけないとかの誓約書を書いたのですが、Tさんのジムで働くことは大丈夫なのでしょうか?」
Tさん:「全然大丈夫でしょ。こっちも弁護士が付いているから何かあったら守ってあげるし、絶対にバレることはないように進めるから。
そもそも、吉川メソッドのノウハウっていっても、筋トレも糖質制限もそこら中にあるわけだから、裁判になったところで、それが吉川メソッドのノウハウなんてことは認められないはずだよ。」
僕は不安な思いもあったが、守ってくれるなら大丈夫なのか。
大丈夫だろう!と言い聞かせて、Tさんのジムでは“立ち上げを手伝う”ということで、契約をした。
そして、契約金としてお金も頂いた。
当時は、お金が欲しいということのほかに、もっと優遇されたい。もっと周りから認めてもらいたい。いろいろな気持ちがあった。
Tさんに何度か食事に連れて行ってもらい、着々と仮称「中林ジム」の準備を進めていった。
裏切りは、お金のためなら朝飯前
「中林ジム」ではバレてしまうし、Tさんが元々考えていた名前が付いた。そのジムの名前はここでは頭文字だけの“M”としよう。(以下、ジム“M”)
ジム“M”は吉川メソッドのコピーをした。
揃える機材は吉川メソッドを丸ぱくり。僕が購入リストを決めた。食事説明の書類は吉川メソッドから配ったTさんのものがあったので、それを使用していた。
Tさんは僕が立ち上げだけを手伝うということは了承してくれたが、マニュアルを作ることを依頼してきた。
吉川メソッドにそういうものがあればそれを参考にして作って欲しいと。
僕は楽をしたいということと、これで良いんじゃないかと思って、吉川メソッドのマニュアルを写真で撮ってTさんに送った。
吉川メソッドでの経営会議では、「吉川メソッドを拡大していくに当たり、気をつけないといけないことは?」「ノウハウの流出です」と答えている僕が。
マニュアルの写真を送ったら、Tさんは「これはまずいから消しください。こちらも消します。」とのことだった。
後々大変なことをしてしまったと知るが、ノウハウ漏洩や他で働くのは、不正競争防止法違反、競業避止義務違反にあたる。
本当に浅はかだった。
そんなことを吉川メソッドにいながら、バレないようにやっていた。
ジム“M”のオープンまではとんとん拍子に進んだ。最初のお客様は、Tさんの知り合い3名だった。モニターとして協力をしてくれるという。
サポートの方法は、もちろん吉川メソッドで行っているとおりに行った。いつもと違う環境で、自分一人だけという環境にはいつもよりも自由な感じと、解放感から楽を感じた。
ジム“M”がオープンしてからの生活は、吉川メソッドの休みの日を利用して、ジム“M”のお客様のトレーニングをサポートし、吉川メソッドが早く終わる日は、仕事後に移動をしてジム“M”で働くという生活をしていた。
そして、ジム“M”でそのまま寝て、吉川メソッドに出社した。
お金が欲しい。認められたい。だから、頑張った。
ジム“M”のお客様には吉川メソッドのトレーナーなんてすごい!と言われた。お金も増えてきた。
希望が少しは叶った気がするが、思ったほどの充実感はなく、なんとなく心は疲れているような気がしていた。
当時の僕は、Tさん以外にも吉川メソッドのお客様と食事をしていた。※当時の会社の決まりとしてはお客様とのプライベートの関係は一切禁じられているが、関係なしで破っていた。
Tさんと同じく医療系の仕事をされているKさんだ。
Kさんも吉川メソッドでかっこいい体を手に入れて、体を維持するために自宅に筋トレの機材を購入された。
でも、一人では鍛えることがなかなか難しいから、教えてくれと言われていた。
そんな矢先に、僕がTさんの話と「中林ジム」の話をしたので、そこのジムで教えてくれということになった。
中林:「実は、吉川メソッドのお客様だったTさんという方に出資してもらい、ジムをオープンすることになったんです。」
Kさん:「そうなのか。じゃあ俺そっちにいくよ。金はオーナーには払いたくないから、中林くんに全部払うよ。」
またしても、おいしい話だと思った。ただ、今度はTさんにバレないようにしないといけない。
僕はお金欲しさにどんどん自分で自分の首を絞めていった。
Kさんの話にも乗り、お金を頂き、Tさんにはバレないようにトレーニングをすることになった。そして、Kさんの知人もトレーニングしてくれということで、もちろん快諾してしまった。
Kさんからの評価も欲しかったし、お金も欲しかった…。
そして、リスクの高い行動は、Kさんが来た初日に、Tさんにバレることになってしまった。Tさんからは怒られ、「信頼をなくすよ」と言われた。
ごもっともなことなので自分なりに反省したが、すでに吉川メソッドを裏切っている僕からしたら、今回の件は小さなことだった。
もう取り返しのつかないことにどっぷり浸かってしまっている。信頼の大切さなんて知らなかった。僕はさらに悪い方向へどっぷり浸かっていく。
当時の僕からしたら悪い方向へ向かっている意識なんてなかった。ただ目先の利益のことだけ見て、判断して、行動していた。
さらに吉川メソッドを卒業されたSさんという、女性の美容師の方とも連絡をとり、ご飯に行ったり、髪を切ってもらったりした。※やましいことは一切ありませんでした。ここまで読んで頂き信じて頂ける可能性は極めて低い気がしますが。
SさんにもTさんとジムをオープンすることを話した。
Sさんは、Tさんのジムの近くに住んでいた。吉川メソッドよりも近くで、しかも安くトレーニングを受けられるのだから、Sさんには願ったり叶ったりの条件だったようだ。
そして、Sさんも「中林ジム」に招き入れてしまった。
今回はTさんには言った。正直に言った。お金も頂きSさんは「中林ジム」に通うことになった。
膨らむ空虚感 すり切れた魂
吉川メソッドの方はと言うと、表参道店のトレーナーを募集し、面接をして、スタッフも揃っていった。当時の吉川メソッドのメンバーは吉川先生、女性スタッフのNさん、中林の3人だけだった。
この3人と、表参道の出店をサポートしてくる別会社の方も一緒だった。※正確に言うと、新しい会社を設立して表参道店出店に向けて動いていた。
吉川メソッドのメンバーが少数ということもあって、役員にもならせていただいた。
当然の報いだが、スキル不足だったり仕事のできなさ加減から、未熟な僕は役員を外されることになる。
なんせデッドライン(締め切り)を一度も守れなかったのだ。ありえないと思う。外されないための努力をした訳でもない。外されても仕方ないと思いつつも、落ち込んだ。
その頃は新人トレーナーの育成のためのスケジュールやタイムテーブル、マニュアル作りなど、初めてのことだらけでアップアップしていた。
さらに、中林ジムの予定も入っていたので休むことができず、疲れていた。
新人のためのタイムテーブルがいつになってもできずに、女性スタッフNさんと一緒に徹夜をして作ったこともあった。
完全に僕のミスで作っていなかったのに、徹夜して手伝ってくれた。
もちろん先生には怒られた。
吉川メソッドでは認められていないような気がしていた。一方で、「中林ジム」では必要不可欠な存在として認めてくれいている。
どっちが居心地が良いかと言われたら、そりゃ中林ジムに決まっていた。辛くない。大変さもない。自由も効く。待遇も良い。なにも問題ないし、贅沢だった。
でも、吉川メソッドのような厳しい環境の中には、経験をしたことのないような優しさや、厳しさがあった。
辞めていく先輩は吉川メソッドの理不尽さをつつく人が多かったが、僕にそれは感じなかった。
逆に、理不尽なことは一切なく、正直にぶつかってきてくれるから、それを受け入れがたいこちら側の言い分なのではないかと思った。
吉川先生はとても正直で、素直で、まっすぐな方だ。
吉川メソッドの社訓にこんな言葉がある。 「0.1秒でも迷うな!常に困難な道を選択しろ」
この言葉がずっと脳裏にあった。
吉川メソッドでは新店舗のオープンもあって忙しかった上に、「中林ジム」で働くという日々が続いた。
最初から決めていたように、「中林ジム」は立ち上げの手伝いということで、モニターさんたちが卒業されるまでを一区切りと決めていたし、Tさんにも話していた。
でもメンテナンスで継続していただける方もいるし、なかなか辞めることができなかった。
また、そんな時にTさんから、「是非、中林トレーナーに見てもらいたい僕のお世話になっている方がいる。」ということで、その方も担当をすることになった。
半年以上が経ってから、Tさんにジムを離れることを相談した。
残念そうにしていたし、吉川メソッドよりも待遇をよくすることを言われたが、吉川メソッドに戻りたい意思があることを伝えた。
贅沢なのかもしれないが、自分にとって待遇が良いことはあまりメリットではないと感じてしまった。お金は増えても、認めてくれる人が増えても、全然満たされない気分だった。
「中林ジム」で自分一人でお客様をサポートすることを経験して、まだまだわからないことばかりだし、筋トレをサポートする技術が伸びない気がした。
一人になってトレーナーという職業はすごく難しいものだと改めて実感をして、大きな壁にぶち当たっていた。
もし、担当をさせて頂いたお客様から紹介をどんどん頂けていたら、そのことに満足をしてジムを離れようとは思わなかったかもしれない。
でも、現状としてはお客様の成果を出すようにサポートができても、お客様も自分も心底から満足のいくような結果ではないことに、自信をなくしていた部分がある。
だから、まだまだ修行が足りないと感じて、吉川メソッドに戻ることを決めた。
Tさんからは、「ジムを辞める前に、中林くんの後釜になる人を紹介してくれないか?」と言われたので、探すことにした。
考えた末に、友人Rに連絡をすることにした。
友人Rは、僕を吉川メソッドに紹介をしてくれた仲が良い友人の一人だった。
何を隠そうその友人Rは、僕が面接をした翌日に先生にチャットで一方的に辞めることを伝え、その後、会社からの連絡を一切取らなかった、いわゆるバックレの友人でもある。
その彼に連絡をして、Tさんとの出会いと今までの経緯を話し、「よかったらここで働かないか?」ということを聞いた。
Rはやる気のようだったので、早速Tさんと会ってもらうことにした。
Rは長身でイケメン、人当たりも良いやつだったので、Tさんにも気に入ってもらえて、働くことになった。
そして、僕はジム“M”から徐々にフェードアウトしていくことになる。
消せない過去
自分の気持ちとしては、ゼロから吉川メソッドで働きたい!
そんな気持ちだった。でも現実はそうはいかない。
すでに裏切ってしまった過去があり、何かを隠すために必死な自分。素直に受け入れられないことで、仕事での成長は滞っていた。
あの頃はほぼ毎日のように女性スタッフに怒られていた気がする。
だから、サンドバッグと言われていた。叩いても叩いても響かない。自分でもどうすれば良いかわからなかった。
ただただ現状が過ぎていくのを待つような…。
本当の自分が知られるよりは、怒られているだけの方がましだった。
でも、現状から抜け出したいからもがいた。何か変えられることはないか。
僕はまだ「中林ジム」から完全なフェードアウトはしていなかった。友人Rからも止められていたし、Tさんからもアドバイザーとして必要だから、籍は残しておくように言われていた。
ここはきっぱり切らないといけないと思い、友人Rに言った。「誘っておいて悪いけど、俺は吉川メソッドに戻る。Tさんにも言うよ。」
Rは止めた。「ここで一緒に働こうよ!マジ勿体ないって。」
とにかく、ここにいてはいけないと思ったから感情的になって、Rには辞めると伝えた。
その後に、Tさんにも吉川メソッドに戻ることを伝えて、手続きをすることになった。
そして、「中林ジム」とは完全に繋がりを絶つことにした。
それから一ヶ月くらい経ったときだろうか。
相変わらず女性スタッフに怒られていたが、その日は違った。ある言葉を言われたときに、ものすごく考えさせられた。
「そんなんじゃ一生嘘つきだよ!」
一生嘘つき。自分はもう一生嘘つきだ。
吉川メソッドを裏切ってしまったことはもう変えられない。心を入れ替えようと思っても全然だめ。上手くいかない。
頑張るほどに裏切っていたということが前面に出てくるし、頑張ったって、結局裏切っていたんだから意味ないんじゃないかと思った。
何をしても無駄ならどうしようもないと思った。
でも、ふと、すべて正直に話せば楽になるんじゃないかと思った。
1時間くらい一人になって考えた。こんなこと言うのは相当な躊躇をした。そのときは、仕事がクビになるとか、先のことは考えられていなかった。
ただ、謝りたい。今まで自分が嘘をついていたことを謝っておきたい。そして、言ったらなにか変わるんじゃないかと思った。
重い腰を上げて、女性スタッフNさんの元へ向かった。当然Nさんは、僕が重大な告白をしに来たなんて思ってもいない。
そして、僕は裏切っていたことを告白した。よく覚えていないが、すごく泣きながら告白した。
Nさんがどんな反応をしたかもよく覚えていない。でもNさんがすぐ先生に電話をして、報告していた。そして、電話で僕が裏切っていたことを、先生にも伝えた。

裏切り人生から救ってくれた、吉川メソッド
怒られると思ったけど、先生は怒らなかった。
すぐに食事にも誘ってくれて許してくれた。
一番怒られたのは、裏切っていたことをすべて言いなさいと言われたときに、すべてを言わずにあとになって出てきたときのことだ。
先生が怒るときはいつも決まっている。未来に対する危険な因子があるときだ。
だけど、過去のことには一切怒らない。
僕が裏切ったことに対して先生が言ってくれた言葉がある。
先生:「裏切って辞めていく人が多い中で、そうやって正直に言ってくれると言うことは、一緒に働きたいということでしょう。
おれは、たくさんの嘘をつく人を見てきたけど、大人になって本当に改心した人を一人も見たことがない。
中林の救いは、君は年齢は大人だが、中身は子供。子供の頃は誰だって嘘をつくし、嘘をつくことで友情を壊したり、信頼をなくすことを知り、成長して大人になるんだよ。
君は生まれ変わって、男としてゼロから正直に生きなさい。そして、本当の仲間になりなさい。願わくば死ぬまで仲間でいたいですね。
罪を犯さない人間なんていない。大事なのはその罪に向き合って人のために生きることです。」

裏切ったことは消せない過去だから、消そうとしてはいけない。
むしろ笑いに変えられるくらいじゃないと、自分の中で受け入れられたといえないし、消化できたといえない。
だから先生は、僕が告白をしたすぐから、「俺はいじるよ」と言っていた。
あとから聞いた話だと、女性スタッフのNさんは、僕のことを 「死ねばいいのに。」と言っていたそうだ。それはそうだと思う。
僕の仕事なのに徹夜までして一緒に残ってくれたり、できない僕を一人前になれるよう一生懸命指導してくれ、一番身近に感じてくれたはずの、この僕が裏切っていたのだから。
でも、先生は“逆に”こんな奴はいないじゃないかと信じて、辞めさせないでくれた。
自分でも最低で最悪なことをしたと思う。それをすぐに許してくれて、受け入れてくれて、可能性を信じてくれた先生にはとても感謝の気持ちでいっぱいだ。そして、僕のために厳しく指導してくれたNさんには、感謝と申し訳なさでいっぱいだ。
僕は、吉川メソッドの根幹はここにあると思っている。
信頼を崩すのは一瞬だけど、積み重ねるのはすごく時間がかかるし、積み木のように一つずつしか積み上げることはできないことも教えてもらった。
過去の罪に向き合って、笑いに変えて、生きていく!すごく楽になった。
裏切ったまま生きなくて、本当によかった。
